sawakouji’s diary

ぶらり旅

生きる道を見つめて「人生トラック」

今週のお題:ちょっと変えてみたいこと

■大病
私は64歳で大病に見舞われ、人生をちょっと変えてみました。
私の父親は50歳で他界しました。当時は膀胱がんと言われていました。
私も同じような病気(前立腺がん)で入院手術を受けることになりました。
前立腺がんは、今では多くの男性が抱える「癌」なのかもしれません。
昔と違って健康診断の精度が上がったので、早期に発見していただいたと感謝しています。
手術前は、骨や他の臓器に転移が無いかいろいろな検査が行われ、転移が無いという状況(ステージ2)で手術で除去することが可能という判断になり手術を受けました。
しかし、手術後の細胞診で「癌細胞がはみ出ている状況で、どこかに転移している可能性がある、ステージ3B」と言われ、その診断を証明するようにPSAの値が2.5→3.5→4.5と再び上昇し、危険水位に上昇してしまいました。

■その時考えたのが「人生トラック」の概念です。

人生の第四コーナーを回った自分が、残された人生のホームストレートであとどのくらい走れるのか、又は、あとどのくらい前進できるかといろいろと考えました。
人生100年と言われますが、そこまでたどり着けるのかと心配ばかりでした。
64歳。8×8「そうだオセロのように白黒ひっくり返して人生を楽しもう」
64歳を「オセロ寿」「はっぱ翁」と命名してみました。
81歳(9×9 将棋の盤)を九九翁(盤寿)というお祝があることを本で知り、それをもじっていますが、お祝い事は、人生でたくさんあっても良いと考えています。

そう考えて、自分の棺桶に入れてもらうための自分史「福井での想い出話」を小説風にまとめ、出版してみようと考えたのです。タイトルは「瑠璃色の琥珀」です。
瑠璃色という生命をイメージする色と、いろいろ想い出を「琥珀」に閉じ込めておきたいというタイトルです。世の中には「ブルーアンバー」という不思議な琥珀があることもタイトルの参考になっています。

■初めて本にする大変さ
初めて本にまとめるということで、本にする大変さという多くのことを知ることができました。そして、自分の文章力を磨くために「はてなブログ」も始めてみました。
初めは「棺桶に入れる本なんて縁起が悪い」と家族に反対されましたが、実際本ができると「作ってよかったね」と言われるようになりました。
自分の長女にも表紙の作成に協力いただいて、私も「作ってよかったなあ」と思うようになりました。

今は頂いた残りの人生に対してのお礼として、第2弾、第3弾の本を作ろうと思っています。
第2弾は「父親の背中に宿る家族愛」がテーマです。原稿はすでにできました。
今年の半ばにかけて頑張って小説本に作り上げたいと思っています。
第3弾は「若い人に仕事に向かう心構え」がテーマです。ある程度のゲラ版はできました。

■病気になって自分の生きた道を見直して、明日への一歩を少しづつ変えていきたいと考えています。

作家 「澤 我二(筆名)」 2026年2月4日(立春

モラルの変革を求める-たばことポイ捨て#

今週のお題「変えたいこと」

たばこを吸う人のモラルを変えたいと痛切に思っています。

昔からたばこを吸う人は吸殻を道路にポイッと捨てて、足でもみ消すことが多かったと思います。そのポイ捨てをなくすように、たばこを吸う人は「マイ灰皿」を持ち運ぶことがエチケットとされるようになりました。
しかし残念ながら、ポイ捨てはなかなか減りません。

先日近くの土手で火災がありました。

乾燥しているので土手の草木は燃えやすい状況です。
私は消防団員として緊急出動してきました。

この日はたまたま風が無く燃え広がるのもゆっくりでした。
火災を発見した近隣の方が119番に電話するとともに、近隣の方々の協力で消防車が来る前にある程度の消火ができました。
完全消火のために消防車からの放水も行われました。
近隣の家に類焼しなくてよかったと思います。

■変えたいこと

たばこを吸われる方は自分の心に手を当てて「ポイ捨てはしません」と誓っていただきたいと思います。

この火災でもしこの日、北風が強かったら燐家に類焼していたかもしれません。
もしかしたら人が焼死してしまったかもしれません。

そのくらいの危険なポイ捨てだと認識を変えていただきたいと思います。

たばこを吸う人がこのブログを読んでいただいて、ポイ捨てをする癖があれば、ぜひ行動を変えていただきたいと思っています。

澤 我二 2026年1月31日 アップ

ハート型の山茶花:春の使者 成人とメジロ

今週のお題「冬の楽しみ」
澤我二(さわこうじ)の人生ぶらり旅 雪をかぶったハートの山茶花

今日は成人式ですね。成人式を迎えられた方、おめでとうございます。
朝早くから髪を結って着物に着付けてもらった方も多いと思います。
北陸から東北、北海道の皆さんは少し大変な一日になりましたが、それも一つの人生の思い出ですね。
人生トラックの第四コーナー(定年の後、ホームストレートを走ってもよし、ぼちぼち歩いてもよし)を迎えた時に、この二十歳のころの思い出が一杯残るように人生楽しみながら頑張りましょう。
「人生トラック 澤我二」と検索していただけると人生トラックの関連ブログが出てきますので、「人生トラック」の意味を、お時間ある方は読んでいただけると幸いです。

今日(2026年1月12日)は名古屋でも雪が積もりました。

ちょうど1年前に「はてなブログ」を始めました。
その時に筆休め番外編として書いていたのが「ハート形の山茶花サザンカ)に春の使者がやってきた!」のというブログでした。
2025年3月16日の「澤 我二の人生チャレンジ日誌」に山茶花で蜜を吸っている「メジロの記事をアップしています。
それから約1年、今年も山茶花に花が咲き始めました。

自宅の南側にマンションがあり、冬は若干日陰になるのですが、徐々に山茶花にも太陽の光が当たり始めました。
自然はすごいですね。
太陽のお日様の当たった所の山茶花が先行して花をつけているのです。

今年もメジロが来ているようですが、まだ目撃はできていません。

しかし、メジロが飛び立つ時に自宅に置いてある2台の車の脇をすり抜けているようです。車の窓に、メジロの羽が一枚くっ付いていました。
メジロが急いでいたのでしょう。車の窓にぶつかったようです。
よく見ると何となくメジロの形も窓に付いています。

正面衝突ではないので、近くにメジロは地面に落ちていませんでした。
ちょっと痛かったと思いますがそのまま飛び去ったようです。

山茶花山茶花 咲いた道・・・」
さいころに心に刻まれた唄を思い出しています。
今年も春を告げるメジロに早く会いたいと思っています。

澤 我二 2026年1月12日 人生ぶらり旅 

感動の瞬間!2025年を振り返りながら迎えた新春の初日の出 #神秘

今週のお題

皆さんは、新春をどの様にお迎えしましたか?
2025年を振り返ってと言われても、気分はすでに新年になっています。
今年は何をしていこうかと、昨年2025年の個人的出来事を振り返っている途中に、除夜の鐘が鳴ってしまいました。

さて、本日の初日の出、皆さんは見られましたか?
私は中目黒の秘密基地から初日の出を拝みました。
昨年12月30日に東京入りして、娘の孫と12月31日に昼食会をして2025年を振り返っていましたが、特にこれと考えがまとまるわけもなく寝てしまいました。
そして、本日、新年を迎えました。

中目黒から見えた今年の日の出はとても神秘的でした。
6:51日の出時間ですが、ビルの谷間から登りますので、写真は7:10過ぎでした。
丁度、東京は一部雲がかかっていて、中目黒から見る初日の出は、きれいな真ん丸の形ではありませんでした。
しかし、太陽の光に浮かんだ雲が、右から「龍」、龍に立ち向かう「鳳凰」、左下に日光浴をする「亀」、ボトムに「恐竜(シーラカンス)」の姿に見えました。
とても賑やかな新年の初日の出でした。
鳳凰」が「鶴」なら「鶴と亀」が天空に現れたということです。

「2025年の仕事の思い出」に区切りをつけるのにはちょうどいい風景かもしれません。

今年2026年も皆様に「幸」多くの年になりますように。

2026年1月1日 中目黒の初日の出 澤 我二 写真アップ

澤我二(さわ こうじ)の人生ぶらり旅VOL1-7 (福井ぶらり旅の完結)

今週のお題 2025年「仕事の思い出」

澤我二(さわ こうじ)の人生ぶらり旅VOL1-7 (福井ぶらり旅の完結)

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2025年2月に「はてなぶろぐ」を始めました。
初めての年末年始を迎えます。
「人生ぶらり旅」は、年金生活者の重要なお仕事ですよね。
「仕事の思い出」というお題には「今年最後のぶらり旅」で感じたことを応募させていただくのが「一番の思い出になる」と思っています。
多分これが今年最後のブログになります。
関係者の皆様、ありがとうございました。
星印もいただき、ありがとうございました。
人生の励みになりました。

一乗谷朝倉遺跡

さて、今年の最後の訪問先は、ソフトバンクのコマーシャルでも有名になった福井県一乗谷朝倉遺跡でした。白い犬の「お父さん」の実家もこの一乗谷にあるという設定になっています。今年も里帰りするのかなあ?
ここは「武士が生まれた」と言われる土地「武生(たけふ)」が象徴しているように、「福井の仏教の強さ=仏僧の成長」や「昔の富の国=越前」の面影を今日まで多く残している地域だと思います。京都方面から「コスの国(超えるのに大変な場所=越す)」を抜け、武生を通って、美濃街道や芦原街道に抜ける昔の街道沿いに発達した城下町の遺跡です。
(福井と新潟のお米を掛け合わせて「古志の国」で改良されたお米を「コスの国の光=コシヒカリ」と命名されたことは皆さん知っておいてくださいね)
この街には、当時1万とも2万ともいわれる人が住んでいたことも分かってきています。

1467年から11年続いた応仁の乱の時に京都から文化人たちが逃れ、この一乗谷に住み始めたと言われ、この地では華やかな生活文化が開花していました。
この一乗谷で見つかった不思議な「将棋駒」もあり「一乗谷将棋」として知られています。朝倉館外濠から174枚の将棋駒が出土し、その中に「酔象・(裏に赤字で)太子」と書かれた駒、今の将棋には見られない駒が一枚含まれていました。将棋史を語る上で非常に重要な駒となっています。同時に発掘された木簡から永禄年間(1558~70)のものであることも判明し、駒の使われていた年代もはっきりしてきています。
今は将棋ブームなので藤井聡太棋士」と日本将棋連盟元会長「羽生善治棋士」の一乗谷将棋対決がいつか実現するといいなあと私は勝手に思っています。

ここは城下町で、越前の中心地として栄華を極めました。だから、織田信長は福井地方の底力を恐れて、一乗谷まで攻めてきたのだと思いました。
世は戦国時代。5代朝倉義景の時に織田信長が攻めてきて、街に火が放たれ、三日程度で街全体は消滅してしまったと言われています。

住民が逃げる時に、本当に重要なものは持ち出しましたが、各家にあったいろいろなものを井戸に捨てていました。
その後、近くを流れる一乗川の氾濫によって、荒廃したこの街をそのままの状況で土砂が覆い隠してしまいました。貴重な資料が土地の下に埋もれてしまったのです。
近代になり圃場整備が始まり、大きな岩が邪魔になってその岩を掘り起こそうとした時に遺跡があるということが分かりました。そして1967年から遺跡調査が始まりました。
発掘調査で井戸が見つかり、そこから当時の生活のことが手に取るように分かる多くの資料が出てきました。江戸時代の前の時代=戦国時代の暮らしぶりが良くわかる物だったのです。
発掘調査が進むと、戦国時代の武家屋敷や職人屋敷、生活状況や街の生活道路に至るまで、完全な状態で発掘されたことから「日本のポンぺイ=埋もれた遺跡」と呼ばれるようになりました。

国の三重指定「特別史跡特別名勝重要文化財」を受けている遺跡は日本では数か所しかありません。福井県の隠れた観光スポットです。
天皇家も数回この地を訪れています。
特別史跡に指定されている範囲は全体で278ヘクタールにも及び、山城や城下町、庭園なども見つかっています。
発掘調査は今日でもまだまだ続いています。

■「人生の燕(つばめ)返し」

この一条川の上流に、佐々木小次郎の有名な「燕返し」という武術を編み出したけいこした場所があります。
それが一条滝です。

佐々木小次郎の「燕返し」の技も、福井で編み出されています。

今回のぶらり旅は「福井にカニをいただきに行く」という「人生の思い出作りの大仕事?」を達成するという目的でした。

東尋坊永平寺

福井と言えば東尋坊が有名です。
この日は穏やかな日本海でしたが、うねりがあり程よく白波が立っていました。

それ以外にも永平寺がります(12月上旬の雪がまだ残っていました)。
真冬の雪の永平寺もとても素敵です。でも、修行の場であることは忘れてはいけないと思います。
永平寺の大講堂が開いていたら、まず、その大講堂でビデオを見ることをお勧めします。永平寺の冬春夏秋」のビデオを見てから永平寺構内を見学すると、永平寺の凄さがさらに分かるように感じます。
酷寒の冬の2月頃からが修行の始まりだとよくわかるビデオです。
構内ですれ違う僧侶の卵たちは、それら試練を乗り越えて日々精進していることがよくわかるビデオと思っています。

福井にはいろいろと不思議な所がいっぱいあります。
時間を作って福井にぜひお出かけくださいませ。

良いお年をお迎えください。

澤 我二 2025年12月27日 ぶらり旅(福井・カニ編 完)

澤我二(さわ こうじ)の人生ぶらり旅VOL1-6 (福井ぶらり旅の食事のシメ)

今週のお題 2025年の「仕事の思い出」

澤我二(さわ こうじ)の人生ぶらり旅VOL1-6 (福井ぶらり旅の食事のシメ)

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高齢者にとって「ぶらり旅」はいわゆる、社会貢献の一つの大切な仕事です。

呑み助で食いしん坊の高齢者の私たちには「福井のおろし蕎麦」でシメめるのが一番いいと思っていました。

有名な方が福井に来た時に、必ず訪れるというお蕎麦屋さんがあります。
下記の当日の写真は青空ですが、北陸の天気の象徴で、傘忘れるとお店を出る時には土砂降りの大雨の時もあります、という典型的な写真です。
この日もお店に入る時は大粒の雨でした。

土日だと一時間以上はお待ちいただくことにもなります。
基本的には予約ができないと伺っています。

このお店の特徴は「けんぞう蕎麦」。
店主の髙栁謙造さんが 全日本素人そば打ち名人大会に出場し2年連続優秀賞を受賞したのを機に、本格的にそば打ちを始めたと言われています。 自宅を改装して、2000年から開業し脱サラでお店を始めたらしいです。
「けんぞう蕎麦」とは「辛味大根の付け蕎麦」という食べ方にあると思われます。
10割蕎麦、一度食べたら後に引くお蕎麦の味です。
日本での有名人(芸能界音痴の私でも知っている人)の色紙がいっぱいあります。
福井に来た時には、このお店に必ずやって来ている
ようです。
長嶋茂雄元巨人軍監督を初め、皆さん知っている方の多くのサイン色紙があります。
達筆で有名な細川元総理の額など、いろいろの方の痕跡も目にすることができます。

お店にはトイレが1か所しかありません。そのトイレに行く時にはお客様の視線を感じながら行くしかありません。申し訳なく入ったところにそのトイレはあります。
元自宅だから仕方ないですね。
そこには、驚く光景が待っているようです。私も知りませんでした。
きっとこのトイレに行った人しか見られない、店主と有名人との写真です。

故人となってしまった長嶋元監督が、このお店を訪れた時の写真は知っていました。
一緒に来た仲間から「ダリビッシュも来ていたんだね」と驚きの言葉がありました。
次回お店に行くことがあったら、お客さんに「すみません」と小さくなってトイレに行き、ダルビッシュどこの席に座ったのかを、その写真を見て確認してこようかと思いました。

福井のおいしいものは「カニ」だけではありません。
お蕎麦や出来立ての豆腐(幸屋=今の天皇も皇太子時代に訪れています)も、福井ぶらり旅の食事のシメには最高と思っています。

澤 我二 2025年12月25日、メリークリスマス(福井ぶらり旅 編 年末に続く)

澤我二(さわ こうじ)の人生ぶらり旅VOL1-5 (カニの夕食会の次の日)

澤我二(さわ こうじ)の人生ぶらり旅VOL1-5 (カニの夕食会の次の日)

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次の日、福井県あわら市の吉崎に行ってきました。

福井県の北外れの「吉崎」は京都の東別院と関係が深く、応仁の乱(1467年から11年間)の起きていたころ、福井県あわら市北潟湖畔の吉崎山に吉崎御坊が建立されたことに始まります。
その地は興福寺大乗院の跡地ともいわれていますが、蓮如上人は、法相宗の高僧として知られた経覚大僧正の力を借り、越前吉崎に身の安全確保と北陸方面の仏教の普及に尽力していた時がありました。
福井の権力者である朝倉氏の支援もあり、この吉崎にしばらくの間身を寄せていたという歴史です。その時に建立されたのが「吉崎御坊」になります。
お坊さんが力をつけて武力化してきた1506年の加賀一向一揆を朝倉氏が抑え込んだことを機に、吉崎の坊舎は壊され廃坊となった歴史もあります。

時が経ち、1746年に西別院(本願寺派)が吉崎に建立され、翌年1747年に東別院(大谷派)が建立され今日に至っています。
現在は「西御坊・吉崎西別院」「東御坊・吉崎東別院」とも呼ばれて、昔ながらの街並みの様子を伺うことができる場所となっています。

この吉崎地区では毎年4月の中旬に「蓮如忌」と呼ばれる行事が行われています。
京都東本願寺から吉崎東別院まで6日間をかけ、門徒蓮如の御影(ごえい)の入った神輿を徒歩で運び、蓮如のゆかりの地を巡る「蓮如上人御影道中」と呼ばれる300年以上も続いている行事です。「吉崎御下向」を再現ものです。
毎年4月17日に京都を出発し、琵琶湖沿岸の蓮如ゆかりの地を通り、22日に、吉崎東別院に到着し、本願寺吉崎両別院で法要が営まれます。
この吉崎の近くには「吉崎古道(如人道)」と言われる昔ながらの道があります。
その道を神輿が通っていきます。岩を削って、古道をできるだけ通りやすくした痕跡が今でも「如人道」として残されています。

和歌山古道の珍布峠(めずらしとうげ)にも同じような場所があります。
昔の人は人力でコツコツ岩を削って、生活に欠かせない道路を作っていたのだと感銘を受ける場所かもしれません。
途中「のこぎり坂跡」という場所もあります。
大きな岩が行く手を遮っていた場所です。
右手にのこぎり坂、左手に先ほどの崖の道があります。その分岐点です。

足で歩いていた時代の人々の痕跡を求めて、この吉崎地区で毎年4月の中旬に行われる「蓮如忌」と呼ばれる行事を見ながら、古道を自分の足で歩いてみるのも素敵だと思います。

  澤 我二 2025年12月24日 クリスマスイブ